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ザックリ書くブログ

見たこと、聞いたこと、感じたこと、感じたままにザックリ書いてく俺のブログ

確実に生きやすくなる考え方は、俺様である。

 僕は自己啓発本が大好きだった。

 

 OOな技術、OOな法則、OOな人になる方法、OOがしている好かれる法則。

 

 例を挙げればきりがないが、ごく最近まで、そういうことにハマっていた。

 

 なにか自分に欠点があるのではないか、足りないところがあるから好かれないのではないか、嫌われないようにするにはどうしたら・・・そんなことばかり考えて、とても委縮し、生きづらいことが続いていたのだ。

 

 そんな中、グーグルのヘッドラインで紹介されていたひとつのはてなブログが、考え方や生きやすさを変える大きなきっかけとなったのである。

 

 それがこのブログ、

 「俺様の世界」である。 

オレ様の世界

 

 不安や悩みを吹っ飛ばすアラサー、「俺様」が、人々の悩みや苦悩、思ったことをそのまま書いていっているブログだ。

 

 このブログもその人の影響を受けまくっているといってもいい。

 

 この人のブログを見て何が痛快かといえば、圧倒的自分視点から見て、物事を判断している点だ。

 

 そしてこの人のブログを見て気づいていった点は、

 「俺に足りなかったのは、こういう視点だ」

と気づいたことである。

 

 

 ここで本題に入る。

 

 他人の視点からみて・相手の立場になって・相手の喜ぶことを常に考えて・他人のために動くことが、あなたの成功につながる・怒らない・ほめるetc・・・

 

 そんなことはとりあえずおいておこう。

 

 大事なのは、俺を尊重しろ、丁重に扱え、余剰分で相手のことを考えてやるという視点である。

 

 上記のような、相手のことを一番に考え的なことは、「間違ってないが、人の言いなりになり、精神を擦りつぶし、生きていくのが何ら楽しくない状態に持っていかれる危険性」があるのだ。

 

 たとえば誰かに「こうしろ!ああしろ!お前は素直じゃない!」と言われたとしよう。

 まじめな人は考え込む。「俺のあれがいけないんじゃないか、これがいけないんじゃないか、俺はADHDじゃないか、発達障害じゃないか」と。

 

 その結果、そういう自己啓発にハマる。「怒らない、ほめる、従うのが大人、逆らわない」等。

 

 でも待ってほしい。相手が言ってくることについて考えてほしい。

 

 相手がこうしてほしいと言ってくることは「俺の考えた通りになれ」ということである。

 

 もっと極論を言えば、「俺の言いなりになれ」ということである。

 

 人は誰でも他人にこうしろという際、すべて「俺の、私の、言うことに従え」をオブラートに包みあっているだけである。

 

 いい人、まじめな人が損をするというのはそこにある。

 

 「俺の言うことに従え、いいなりになれ」ということを、まじめに受け取り、相手の言いなりになることを進んで行う、いわば他人の奴隷になってしまうのである。

 

 そして他人は十人十色とあるように、Aがいいという人もいれば、Bもいいという人もいる、その全員の要望に応えるのなんか、不可能である。

 そこで悩むのである。「あの人の気持ちを察知できなかった。Aさんの思っていることを言われる前に察知できなかった。自分て全然だめだ。人の気持ちがわからない私は障害なのかな・・・」と。

 

 そんなわけあるか!他人の気持ちがわからないのはあたりまえである。

 エスパー、テレパシー能力持ちの念能力者でもない限り、相手のことを1から10まで察知することは不可能である。

 

 まず気づいてほしい、相手の気持ちを察知できないなんて当たり前であることに。

 

 そして、言われることの正当性については、世間一般の常識(という名の暗黙の了解)に当てはめてほしい。

 

 万引きしていい←これはもちろん犯罪であるからダメ

 上司には敬語を使う←これは正解、「お前上司には敬語を使え!と怒られるのはド正論である。

 待ち合わせに遅れるなら連絡して!←これも正論。相手の時間を奪っているのだから。

 

そう、正論かどうかで判断していいのである。

相手に言われることについては、正論かどうかをぜひ基準にしてほしい。

 

 

 そして、自分を一番大切にすることについて

 

 されて嫌なことがあったら、むかつくことがあったら、「それはやめろ」と言ってもいいのである!

 ここが最重要であるが、周りに「俺を大事にしろ」と要求していいのである。

はっきり、声を大にしていってもいいのである。

 

 バイトが舐めた口をきいてくる、彼氏が平気で人を待たせてくる、約束を平気で破りドタキャンしてくるetc・・・

 

 そういうのなんか全部「お前そういうことはやめろや!」と声に出して言っていいのである。

 

 怒らない技術などがあるが、真逆である。

 なぜ自分のことを軽んじ、馬鹿にし、道具扱いしてくる人間にへーこらしなければならない理由があるのだろうか?

 あなたは罪人だろうか?誰かからもつまはじきにされて当然の超最悪な極悪人なんだろうか?否である。

 

 そんなことをして嫌われる?もちろんその気持ちはわかる。少し前まで自分もそちら側の人間だったのだから。

 

 でもいいんじゃないか?人を待たせ、馬鹿にし、軽んじ、心をどんどん落ち込ませるくそみたいなやつに嫌われたところで、あなたになんのデメリットがあるの?

 

 俺様、私様でいいという気分は、そういうことである。

 

 あなたも自分を軽んじてくる人に、正論を言おう。

 「上司に向かってその口の利き方はなんだ?20歳になってそんなこともわからないのか?」でもいい。

 「遅れるなら事前に連絡して!なんでそんな連絡一本できないの!?」でもいい。

 「ドタキャンするんじゃねーよお前!もう二度と連絡してくるな!」でもいい。

 

 なぜならそんな相手は、あなたという人間を尊重しない極悪人である。

 なぜそんな奴に、へーこらして、土下座して、謝って、奴隷扱いされなければならないのだろうか?

 

 ここまで読んで、「いやーそんなことを言うと彼に嫌われるから」とか、「友達と呼べる人がいなくなるから」とか思うなら、それはもうその人の自由である。

 

 なぜならその人は、「奴隷扱いされたいし、自分もそうなりたいし、誰に何と言われようが、不幸になっていきたいんですー!」と宣言している人だからだ。

 

 まず自分を大事にしよう。上のような例文を言って、裏でどうなるか心配と思っている人、心配ご無用。

 

 ちょっと想像してほしい。

 「あの上司に「上司には敬語を使え」と言われてさー、マジむかつく」と愚痴ったとしよう。

 もしあなたがその愚痴を聞く相手だったとしたらどう思うか。

 「いや正論だろ(笑)」と思わないだろうか?

 

 「遅れるときは一言連絡してって彼女に怒られたわ、俺には俺の都合があるんだよあのくそ女」と言われても、「当たり前だろ、お前が悪いわ」と思わないだろうか。

 

 正論をバックに、自分のことを大切にしろと相手に伝えても、裏でその出来事をたとえ愚痴ろうと、下がっていくのは相手の評価だけである。

 

 断言しよう、この世で一番大切なのは自分である。自分自身である。自分が受ける理不尽をやめるように伝えるのは何ら罪ではない。

 大切にしてこない相手が悪いのである。

 

 自分のことを大切にしてくる人と付き合おう。そうすれば、自分を大切にしてくれる人のことを自然に大切にしてきたくなる。

 自己啓発本に書かれていることなんて、自然にできるようになってくる。

 

 そう、毎日を楽しく過ごそう。

 

 以上